オイラのショータイ
さっき気づいたのだ。
オイラの正体。
前々からなんとなくわかっていたのだが、
そのボヤっとした単語を修飾する言葉が加わり
より明確な存在となったっつー話。
今までオイラはクズの部類に入ると考えてきた。
しかし、世の中でクズといわれる輩は、
例えば反社会的な人間だったり、いわゆる外道というものではないか。
人の道に反するうえ極めて極悪な存在。
(補足:「極めて極悪」という表現は「丸い円」に近い表現だ。)
それが「クズ」だということは世間一般的な見解ではないか。
それでは自分はどうか?
反社会的な立場でもなく、外道を行くものでもない。
どちらかというと、人には優しい。
優しさはどれだけ貫く事ができるか、
自分に対する挑戦とも考えている。
だが、オイラは「クズ」という言葉がやけに似合いそうでならない。
これでは矛盾が生じてしまう。
オイラは「クズ」ではないのだろうか?
いや、そんな事はない。
オイラは「クズ」に違いない。
そうでなければ、こんな人生のはずがない。
根本から違うのではないか?
上述した「クズ」の定義だと「悪」イコール「クズ」のようになっている。
この定義自体が間違いなのだ。
正義と悪のどちら側にも落ちこぼれのような存在はいるだろう。
それが「クズ」だ。
わかった。
オイラは「正義のクズ」なのだ。
英語で言えば「ホワイトクズ」。若干かっこよくも聞こえる。
だからオイラは「クズ」なのだ。
もっと丁寧に言うのであれば、この世は「正義と悪」などと
明確に二分化出来ないので、
「どちらかというと正義寄りのクズ」だ。
オイラの正体は
「どちらかというと正義寄りのクズ」