ダッチワークスの日々コレ報告日記

30代独身オトコ(ダッチワークス)による、日々の経験、思い、考え、嗜好などダラダラ書いていきます。

オイラのショータイ

さっき気づいたのだ。

オイラの正体。

前々からなんとなくわかっていたのだが、

そのボヤっとした単語を修飾する言葉が加わり

より明確な存在となったっつー話。

 

 

今までオイラはクズの部類に入ると考えてきた。

しかし、世の中でクズといわれる輩は、

例えば反社会的な人間だったり、いわゆる外道というものではないか。

人の道に反するうえ極めて極悪な存在。

(補足:「極めて極悪」という表現は「丸い円」に近い表現だ。)

それが「クズ」だということは世間一般的な見解ではないか。

 

それでは自分はどうか?

反社会的な立場でもなく、外道を行くものでもない。

どちらかというと、人には優しい。

優しさはどれだけ貫く事ができるか、

自分に対する挑戦とも考えている。

だが、オイラは「クズ」という言葉がやけに似合いそうでならない。

 

これでは矛盾が生じてしまう。

オイラは「クズ」ではないのだろうか?

いや、そんな事はない。

オイラは「クズ」に違いない。

そうでなければ、こんな人生のはずがない。

根本から違うのではないか?

 上述した「クズ」の定義だと「悪」イコール「クズ」のようになっている。

この定義自体が間違いなのだ。

正義と悪のどちら側にも落ちこぼれのような存在はいるだろう。

それが「クズ」だ。

わかった。

オイラは「正義のクズ」なのだ。

英語で言えば「ホワイトクズ」。若干かっこよくも聞こえる。

だからオイラは「クズ」なのだ。

もっと丁寧に言うのであれば、この世は「正義と悪」などと

明確に二分化出来ないので、

「どちらかというと正義寄りのクズ」だ。

 

オイラの正体は

「どちらかというと正義寄りのクズ」